証券化商品の組成者が5%を抱えることは、抱える量の却倍までしか商品を組成できないことを意味する。
金融機関がその体力に関係なく、どんどん証券化商品を組成する道をふさいだ。
これは証券化版の自己資本比率規制のようなもので、証券化を使った野放図な信用創造にも歯止めがかかることになった。
証券化への規制は強化される。
返済のあてのない融資の証券化はしにくくなる。
裏付け資産の情報開示も進み、透明性は増す。
ただ、それに伴って証券化のコストも上がると見られ、資金調達手段としての価格面での利点は薄れる見通しだ。
加えて証券化を抱え込んだ投資家は大きな損失を抱えており、証券化そのものへの不信感がどの程度払拭されるかは不透明だ。
もちろん資産プールを担保にした証券化には、信用リスクの管理のしやすさや、リスク分散といった利点があり、危機が去ればある程度の取引は回復するだろう。
しかし再証券化の復活は見込み薄で、証券化が間接金融、直接金融に並ぶ金融の有力手段として位置付けられる状況は展望できない。
日本でも証券化は取り入れられたが、欧米のように爆発的には広がらなかった。
銀行の融資金利が低く、証券化の利点が見出しにくかったのに加え、企業などに融資債権売買への抵抗感が根強く、証券化の担保となるプールを作りにくかった側面もある。
サブプライムローン問題では、海外の証券化商品を買った投資家が損失を被ったものの、直接的な損失は欧米より小さかったといえる。
周囲遅れが幸いした。
日本が広い意味で証券化の考え方を取り入れたのは、抵当証券が最初である。
政府は1931年に抵当証券法を設け、土地・建物などの抵当権付き債権の流動化を認めた。
抵当証券業者が債務者の同意のもとに法務局に抵当証券の発行を申請し、法務局が交付した抵当証券を売却し、流動化できる仕組みだ。
当初こそ利用は低調だったが、初年代になって取引が活発化し、銀行や証券会社が相次いで抵当証券会社を設けた。
住宅ローン債権をまとめて信託し、それを流動化する住宅ローン債権信託がそれだ。
米国でジニーメイが手がけたパススルー型の証券化にあたる。
住宅ローン債権信託の受益権証書を、証券取引法で有価証券と位置付けた。
政府は、一般貸付債権の流動化を認めた。
民法の指名債権譲渡方式を活用し、債権を譲渡する内容だった。
販売対象を金融機関から機関投資家に広げたり、流動化の手法として信託方式を認めたりするなど、規制緩和を進めた。
現在、欧米で証券化と認識されている形の証券化は、「特定債権等にかかる事業の規制に関する法律(特定債権法)」で可能になる。
対象としたのは、リース債権、クレジットカード債権、オートローン債権、割賦販売債権、リース物品などで、投資家を保護するために個別の流動化案件の届け出を義務付けると共に、情報開示の仕組みとして書面閲覧制度などを導入した。
日本信販が組成した自動車ローン債権を担保に、ケイマン籍のJ・CARS-CORPが発行したユーロ円債である。
政府は証券化の整備に乗り出す。
不良債権問題が深刻になり、都市銀行の北海道拓殖銀行が経営破綻したことなどにより、銀行融資という間接金融だけに頼る金融の限界がささやかれた。
一方で、証券化商品の発行額は、1兆円前後にまで増えていた。
政府は「特定目的会社による特定資産の流動化に関する法律(SPC法)」を設けた。
資産を裏付けとした有価証券を発行するための特別目的会社(SPCまたはTMK)を法律で規定すると共に、証券化の対象資産を信託受益権などにも広げた。
銀行や企業が保有する資産をいったんSPCに売って、その資産が将来上げる収益を裏付けに、SPCが資金を調達する仕組みだった。
銀行や企業は、SPCを活用すれば資産を帳簿(バランスシート)から外して身軽になれるため、不良債権問題解決の切り札と期待した。
東京建物が悌年日月に東京・港区に保有する外国人専用マンションを証券化したのが、SPC法に基づく第一号案件となった。
証券化は、ノンバンクの資金調達や銀行、企業のバランスシート問題の解決といった目先の事情に押されて進んできた面が強かったが、政府は証券化を将来の金融の柱のひとつと明確に位置付けた。
金融審議会で幻世紀を支える金融の新しい枠組みについて議論し、第二次中間整理で「集団投資スキーム」という形で方向を示した。
具体的には「資産流動型スキーム」と「資産運用型スキーム」に分け、それに沿って法律を整備していった。
資産流動型スキームは、欧米でいう証券化である。
SPC法で環境整備したはずだったが、規制が厳しく利用は低調だった。
そこで2000年に「資産の流動化に関する法律(新SPC法)」を設け、SPCの設立に関する最低資本金の引き下げ、SPCの登録制から届け出制への移行、借入金規制の藤和などを盛り込んだ。
資産運用型スキームでは、投資信託の規制緩和を進めた。
2000年に「投信法(投資信託及び投資法人に関する法律)」を改正して、投資対象を有価証券中心から不動産にも広げた。
これによって不動産証券化の道が開かれ、不動産投資信託(REIT)が東京証券取引所に上場された。
この資産運用型スキームは、欧米では証券化の概念ではとらえられていないが、日本では広い意味で証券化と呼んでいる。
この新SPC法と投信法の改正で、日本での証券化の基礎は整った。
米国では銀行と投資銀行が証券化を進めたが、日本で推進したのは日銀だった。
日銀は2001年4月にABCPを、1月には住宅ローン債権を裏付けとするABSを、適格担保として認めた。
4月にはABCPの適格基準を広げ、金融機関に利用を促した。
不良債権問題を抱えた銀行による貸し渋りが問題となっており、その緩和をねらった。
より踏み込んだのは4月で、金融政策決定会合でABS買い入れの検討を始めた。
ねらいは企業の資金繰りの緩和とされたが、資金繰りの逼迫する3月末を越えてからのちぐはぐな対応だった。
背景に、証券化でひと儲けしようとする銀行が見え隠れした。
証券化には新たなシステムが必要で、コンピューター・メーカーなども推進を求めていた。
日銀首脳がそれに飛び付き、「初期段階にある流動化市場をサポートするねらいがある」と主張した。
公開市場操作(オペ)は金融市場への円滑な資金供与が目的だが、海のものとも山のものともしれないABSを対象にし、銀行やシステム会社の儲け話を支援した。
ただ、日銀内には、銀行の新ビジネス支援に乗ることへの批判が根強かった。
銀行のいうままにABSを買えば、日銀の資産が劣化しかねないからだ。
ABSは本来、日銀が掌握する銀行を経由した金融を回避する資金調達のルートを作ることになり、金融政策上でも、銀行監督上でも、撹乱要因になる恐れがあった。
日銀の事務担当は制度作りにあたって、安易にABS買い入れができない仕組みにした。
具体的には買い入れ対象を、銀行が自己査定で正常先と分類している企業向け債権を担保にしたABSにかぎった。
日銀にABS買い入れを働きかけた銀行は、自ら抱えたくない債権を担保にABSを作り、それを日銀が買い入れることを期待していたが、うまくいかなかった。
金利面での制約も壁になった。
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